アテネ アクロポリスの前門

現在も修復工事が続いているが、修復が開始されたのは18世紀になってからのこと。 当時、最初に調査に乗り出したのはイギリスの駐イスタンブール大使 エルギン伯トマス・ブルース。 エルギンはオスマン帝国のスルタンから調査および発掘したものを持ち出す許可を得た。ただし、許可書は原本が残っていないため、具体的な内容は定かではない。

許可を得たことを良いことにエルギンはパルテノン神殿などの建造物から彫刻類を引き剥がすなどの手段で彫刻を集め、イギリスに持ち帰ってしまう。 このために建物は深刻な損傷を受けてしった。 さらにイギリスへ輸送するに当たって軽くするために剥ぎ取ったブロックを半分に裂いてしまっている。 また、一部彫刻はイギリスへの輸送の途中で海中へ沈んでしまった。 これらイギリスに渡った彫刻類はエルギン・マーブルと呼ばれているが、エルギン伯の「略奪」行為を非難する声は当然大きい。

そのため、ギリシア政府は大英博物館に対して1983年以降度々、彫刻を返還を要求。

しかし、大英博物館は依然と返還を拒否し続けている。

アテネ アクロポリスの前門の写真