ヴァレッタ

1565年の歴史上名高い『大包囲戦(グレートシージ)』に勝利した聖ヨハネ騎士団は、宿敵であるオスマントルコの再攻撃に備えるため、終戦直後の1566年に新たな城塞都市を築くことになる。
バロック様式の強固な町は、突貫工事によってわずか5年で基礎を作り上げ、その後も10年かけて増改築を繰り返し完成させた。

この城塞都市建設に当たってはキリスト教国から莫大な寄付が集められ、ローマ法王ピウス5世とスペインのフィリップ王が財政的な援助を与え、イタリア人の優れた軍事技術者フランチェスコ・ラパレリをマルタに派遣。 建設をさらに押し進めたのが大包囲戦で陣頭指揮をとり、歴史的な勝利に導いた騎士団長 ジャン・パリソ・ドゥ・ラ・ヴァレット。
彼の功績を称え、新たな町の名前として彼の名を取り、ヴァレッタと名づけられた。

マルタがキリスト教国から多大な援助を得た背景には、立地上、カトリック世界のオスマン帝国に対する最前線基地として重要度が極めて高かったことにある。
しかし、1571年のレパントの戦いを機にオスマン帝国は衰退し、再び攻められることは無かった。

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ヴァレッタ マルタ島
ヴァレッタ市街 世界文化遺産/1980年登録

聖ヨハネ騎士団

11世紀に起源を持つ宗教騎士団。正式名称は「エルサレムの聖ヨハネ救護騎士修道会」(The Order of St. John of Jerusalem)。 テンプル騎士団、ドイツ騎士団と共に、中世ヨーロッパの三大騎士修道会の一つに数えられる。
救急医療団体として、聖地巡礼に訪れたキリスト教徒の保護を任務としたため、「ホスピタル騎士団」とも呼ばれる。 巡礼者の保護を目的に軍事化し、聖地防衛の主力となっていった。

1187年にエルサレムが陥落し、最後のキリスト教徒の砦であったアッコンが陥落した後、騎士団は行き場を失いキプロスに逃れ、ロドス島に本拠地を移す。これ以降、ロードス騎士団と呼ばれるようになる。 しかし、1522年、オスマン帝国のスレイマン大帝に襲撃され、6ヶ月間にも及ぶ必死の攻防戦を繰り広げたが、遂にロドス島を明け渡してシチリア島に撤退。

再び本拠地をなくした騎士団は、神聖ローマ帝国皇帝カール5世からマルタ島を与えられ、騎士団はその地形を生かした要塞作りに着手。

これ以降、聖ヨハネ騎士団は「マルタ騎士団」と呼ばれ、再度オスマン帝国と激突、「大包囲戦」に勝利する。

1798年5月、ナポレオン・ボナパルト率いるフランス艦隊はマルタへ侵攻。堅固な要塞都市を持ちながらも戦意を喪失していた騎士団は戦わずして降伏し、マルタ島を明け渡した。 大包囲戦に勝利し、平和な日々が続いた結果、騎士団の規律は徐々に乱れ、堕落していった結果である。 ナポレオンは「この国に強固な要塞はあるが、強い精神力は持っていない」という言葉を残している。 こうして聖ヨハネ騎士団は268年間の繁栄に幕を閉じた。

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