海洋貿易で栄えたイタリア北部とローマを結ぶ中継地として、9世紀に入ってから交易都市として形成され、12世紀には繊維業と金融業が発達、トスカーナ最大の都市として成長した。13世紀には貴族が追放され市民(商人)が実権を握り、自由な発想が定着。これによって近代的な思想が広がり、やがてルネッサンスの開花へとつながったわけである。
15世紀には銀行業で成功を収めたコジモ・デ・メディチがフィレンツェ共和国の支配者として君臨、教皇庁御用達の大銀行としてヨーロッパ各地に支店を置き、莫大な富を築きあげる。その財力を芸術に注いでいき、この15世紀のフィレンツェには多くの芸術家が集まったのである。そのメンバーはあまりに豪華であり、ドナテッロ、ボッティチェリ、ブルネレスキ、レオナルド・ダ・ビンチ、ラファエロにミケランジェロといった最高の芸術家たちが名を連ね、華やかな黄金時代を迎えていた。
ところが、16世紀に入って間もなく、豪華王と謳われたロレンツォ・デ・メディチの次男ジョバンニがローマ法王レオ10世に即位。なんとメディチ家からローマ法王が選出されたのである。これによって再びフィレンツェを統治し、復活を図ったのである。
しかし、時代の流れにはかなわなかった。ヴァスコ・ダ・ガマによって新たな海洋航路が発見されたことにより、ヨーロッパにおけるアジア貿易(東方貿易)の拠点が北イタリア(ベネチア共和国)からスペインやポルトガルへと移り、北イタリアは衰退。大航海時代の到来である。これはフィレンツェの弱体化を意味し、メディチ家はやがて歴史の舞台から姿を消していく。そして1737年、ついにメディチ家の最後の一人が跡継ぎを残さずに亡くなり断絶。その後フィレンツェはハプスブルク家の支配へと移っていった。